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五右衛門風呂、長州風呂から鋳物ホーロー浴槽へ

鋳物ホーロー浴槽。なめらかな質感、高級感あふれる輝きで、その品質は国内外の高級ホテル、また建築デザイナーに広く認められています。
この鋳物ホーロー浴槽、ルーツはなんとあの五右衛門風呂。
体の芯から暖まり、環境にも優しいという特長を、鋳物ホーロー浴槽は1000年の昔から受け継ぎ、今に進化し続けています。 【資料提供 大和重工株式会社】

●浴槽の歴史


①お風呂の始まり

確認できる最古の浴槽は、エーゲ海クレタ島で出土した紀元前1700年頃のものと思われるテラコッタ(焼き粘土)製。クノッソス宮殿の女王が使っていたものだといわれています。
国内では、平安中期に編纂され当時の律令の施行細則を定めた書物「延喜式」(えんぎしき)に木で作った船のような浴槽の記録が残っているそうです。
その後焼き物(土器)製の浴槽なども作られましたが、現在の浴槽に近いかたちで歴史に登場するのは鎌倉時代初頭の1197年、中国に遊学した僧の重源上人(ちょうげんしょうにん・1121~1206)が帰国後周防国(現在の山口県南東部)で作った「鉄湯船」とされています。
重源上人が「不断念仏と長日温室(=浴)」の理念のもと、熱心に行なった社会事業「施湯」で使われていた鉄湯船は直径2m・深さ70cmの鉄製の鋳物大釜で、今日の長州風呂(五右衛門風呂)の元祖と考えられます。

②桶風呂の登場
江戸時代、木製の桶の生産が盛んになると、その大型版ともいえる木製の桶風呂が普及し始めます。
桶風呂の底面に設けられた鉄の箱で薪を焚いてお湯を沸かす仕組みでした。
桶風呂の最初は、一説によると、豊臣秀吉の朝鮮出兵の陣中で臨時に工夫されたものが始まりであると言われていますが、煙突がないため非常に煙たかったようです。

③五右衛門風呂、長州風呂へ
その後桶風呂の底だけ鋳物で作ったものも現われ、これは弥次さん喜多さんで有名な十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しています。
大盗賊石川五右衛門が、釜ゆでの刑に処せられたことから「五右衛門風呂」と呼ばれるようになり、庶民の間でさらに普及することとなりました。
この底部だけが鉄製の桶風呂「五右衛門風呂」は主に江戸で使われ、対して関西では浴槽全体が鉄製の「長州風呂」が多く使われていたようです。

④浴槽の王様、鋳物ホーロー浴槽の誕生
時代は昭和になり、この「長州風呂」は全国で長らく使用されてきました。戦後の混乱期を経てようやく日本が豊かになり始めた頃、都市部でガスの普及が始まるとともに給湯型の浴槽需要が生まれ、角型の長州風呂も開発されました。
昭和28年(1953)頃、見た目の美しさや防錆などを目的に、当時食器の生産などで発達したホーロー技術を浴槽の製造に取り入れようという動きが始まります。鋳鉄という頑丈な素材に、ガラス質を焼付けした鋳物ホーローです。
美しい輝きを持ち豊富な色彩仕上げが可能な反面もろいガラスを、壊れやヒビの出ない強度のある鋳物がバックアップし、長期にわたり使用してもねじれや変形のない、重量感ある浴槽を実現しました。
美しさ、なめらかこのうえない肌触り、そして強靭さ、清潔さ、また鋳鉄製であるがゆえに廃棄後も溶かして再び鉄製品として生まれ変わるというエコロジーの観点からしても、鋳物ホーロー浴槽は最高級浴槽と称され、一流ホテル、建築デザイナーに広く採用されています。
重源上人の鉄湯船から長州風呂、五右衛門風呂、鋳物ホーロー浴槽と、鉄製浴槽も変遷してきましたが、同時にお風呂に対する考え方も、ただ「体を洗う場所」から「リラクゼーション・癒しの空間」と変化しています。

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